キャビア養殖の歴史について
元々チョウザメは、その身を食用として食べられており、キャビアはチョウザメの副産物として食べられていました。
その後、キャビアの美味しさに気づいたことでチョウザメの乱獲が起き、チョウザメの水揚げ量が極端に低くなり、
1950年代後半にロシアは、国内の水力発電ダムの建設により天然のチョウザメは、遡上する河川が少なくなって行きました。
ソ連政府は大型河川やダムに大規模な孵化場を作り、ワシントン条約制定後の1970年代後半には人工稚魚養殖を開始するとともに、カスピ海への大量放流を行い、年間3万トン近い天然チョウザメの捕獲からキャビアの生産を国家的な事業で行っておりました。
その後、人工孵化技術や養殖の技術は、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イタリア、我が国へも広がっていきます。
また、1975年7月にワシントン条約(CITES / 絶滅のおそれのある野生動植物種の国際取引に関する条約)の制定されキャビア(チョウザメ目の種の加工された未受精卵)がその対象になったことで、キャビアの養殖技術の躍進に拍車がかかります。
現在世界の養殖キャビアの生産量の半分以上とも言われる中国での養殖技術及びその事業は、特に飛躍的な伸びを見せました。