チョウザメ・キャビアの食文化と歴史
多くの紀元前の遺跡からチョウザメのレリーフや歴代の皇帝が、ファインフードとしてチョウザメやキャビアを食した歴史が見うけられます。
まさにチョウザメ、キャビアの歴史はこの世に人間が誕生してから続く世界の食文化発祥の歴史でもあるのです。
紀元前4世紀にはアリストテレスが、キャビアについて記述しています。
12世紀頃になりロシア正教会、ギリシャ正教会が、節食期間中にも口にしても良い食品としてキャビアを認可してからは、当時は安価でかつ栄養価の高い栄養補給食品としてロシア全土へ普及し、さらにはカスピ海周辺、ヨーロッパ各地、そして世界へとキャビアの食文化は広がって行きました。
中世のイギリスの王様には、チョウザメを全て王家の消費のために確保し、王族のための魚「インぺリア・フィッシュ」と称しました。
ロシア皇帝は、チョウザメの黄金の卵(色素を持たないアルピノ・キャビア)を「インぺリア・キャビア」と称し、その献上を求め、チョウザメの乱獲を招いた記述もあります。
何時しかキャビアは、天然環境で育つチョウザメの減少、河川の汚染やダムの建設などによる産卵地の減少により、瞬く間に現代の高価な食材へと変貌して行ったのです。